和辻とハイデガーや西田幾多郎先生の意外な日記内での悩みを描く前に

 かつて書いたものも、見直してみた。「広告論」のレポートであるが、具体的なCM例で書くということに抵抗しつつ、描いてみたところ、反応が良かったことを思い出した。

 以下がそのレポートである。

「企業に期待するもの」を広告を通じて考える

        1F060XXX-5  山澤 瑶華

 

糸井重里が1988年西武百貨店の広告で、「ほしいものが、ほしいわ。」というキャッチフレーズを書き、時代を巧く現していると有名になったが、それは当時「ほしいもの(商品)が、ほしいわ。」というニュアンスであったと思う。

たが、2009年の今、人々が「ほしい」しいのは商品や優遇はもちろん、さらに何か社会に貢献しているという連帯感も「ほしい」のではないだろうか。

ともすると、広告を通じてのよい(良い、善い)企業という認識は、「商品がよい企業」から「何かよいことをしている企業」へと変革していくのではないだろうか。

株主が望む広告とは「自分が支援している企業を誇りに思える広告」であるという一面がある。

最近、対象が株主に限らず、企業のテレビコマーシャルでも商品そのものの魅力を強調するのではなく、企業としての魅力を強調するものが増えた。

たとえば、2009年度の競艇のテレビCMでは、「我々は、学校建設(尼崎市小学校)や、伝統文化の保護(丸亀市うちわの港ミュージアム)、文化財整備(唐津市港城跡)をしています」というメッセージを全面に押し出している。また、同じく2009年度の富士通の「グリーンIT」編(夢をかたちにシリーズ)なども商品ではなく企業の姿勢を伝えている。

先に挙げた競艇のCMについて言えば、「競艇は、楽しい。」というメッセージが全面にあるCMではなく、「競艇は、社会貢献もしているという」メッセージが全面にあるCMなのだ。

これはひとつの広告のあり方変革ではないだろうか。

商品の魅力だけを強調する、CMやダイレクトメールやチラシ以外にも、「その会社やブランドに対するロイヤリティが深まり、顧客に長く強く愛される売り手」であるための広告のあり方なのであろう。

言い換えれば、ただ商品の魅力を強調するだけではなく、売り手の態度が重視されるようになったとはいえないだろうか。

 

今回は、私は自らも株主をしている松坂屋(特に上野松坂屋)という企業の広告活動を、他の株主の意見や、株主総会での意見なども鑑みて、例にしたいと思う。

特に、社会貢献というPRの仕方について考えたい。

余命1ヶ月の花嫁」の千恵さんの遺族が、乳がん撲滅のために結成した「ぱんだ会」いうものがある。

「ぱんだ会」のロゴには、上野松坂屋のキャラクターである「さくらパンダ」が使われている。

さくらパンダ」とは、上野公園の「桜」と上野動物園の「パンダ」に由来するキャラクターである。

なぜ、乳がん撲滅の「ぱんだ会」がそのロゴを用いているかというと、「余命三ヶ月の花嫁」である千恵さんが、パンダ好きであったことと、乳がん撲滅キャンペーンで使われる色が女性を意識したピンクであったことから、「ぱんだ会」の方が、松坂屋のホームページのお問い合わせフォームから「ぱんだ会のロゴにさくらパンダを使わせて欲しい」と要請したところ、「千恵さんの想いを伝えることに、松坂屋さくらパンダが協力できるなら。」と無償で快諾したからである。

「ぱんだ会」のホームページから、主催者の言葉を引用すると、

乳がん撲滅キャンペーン名古屋キャラバンの会場は、大変お世話になっているデパート(松坂屋)の前で実施することができました。

ぱんだ会のロゴはホームページでも紹介させていただいておりますが、松坂屋さんに無償でご提供いただいております。

もう一年以上前になりますが、松坂屋さんのホームページのお問い合わせフォームから『ぱんだ会のロゴにさくらパンダを使わせて欲しい』と無理なお願いをしました。」当然無理だと思っていましたが、たまたまドキュメンタリーを見た松坂屋さんの方が「千恵さんの想いを伝えることに、松坂屋さくらパンダが協力できるなら。」と快くOKをしてくださいました。千恵の想いを受け止めていただき、そしてご協力いただけるというお返事本当に嬉しかったです。

その後も数々のお世話をしていただき、今回はデパートの玄関まで貸していただけました。

本当に感謝します。」

とある。

 この「さくらパンダ」の社会的貢献は、今年度の株主総会でも、株主が質疑応答の時間にさくらパンダのぬいぐるみを掲げながら、この対応を賞賛するなど、ブランドロイヤリティにも貢献した。

また、「余命1ヶ月の花嫁」の視聴者からも、「さくらパンダがかわいい。」というところから、グッズ売り場探しをし、上野松坂屋に行き着き、経緯を知って、感激するという話を耳にした。

さらに、「余命1ヶ月の花嫁」の映画を見て、興味を持ち「ぱんだ会」のホームページを見て、松坂屋の存在を知る人もいるであろう。

このようなブランドイメージは、商品よりも強力に、人の心に訴えるものではないか。また、受容されているのではないだろうか。

 

今年度の松坂屋株主総会に出席した際、「欲しい商品がない。」「店員が不親切だ。」というクレームよりも、「配当金を減らしてでもいい。日本は、豊かになった。慈善事業を国内だけではなく、海外でも、行って欲しい。」という要望や「伝統的な木工事業は不況になっても、つぶさないで欲しい。」、また先の「さくらパンダのような事業をもっと他分野でもしてほしい。」などの意見があり、驚いたのを、鮮烈に記憶している。

 

 はじめにも挙げたコピーライターの糸井重里の、「おいしい生活」(1983年、西武百貨店)は時代背景も鑑みると、「(自分「だけ」豊かで)おいしい(思いができる)生活」というニュアンスが否めない。

しかし、バブル崩壊後(1990年代以降)、人々は不安感から「つながり」を求め始めた。

2006年に放送された松坂屋CMには「終わらない明日」というキャッチフレーズであった。

「どこかに関わりたい、社会と繋がりたい」という思いが、消費者の行動に敏感な、広告に反映されているのだと考えられる。

「個人ができることは小さい。しかし、大きな企業という組織に関わることで、何か大きなことの一端に触れたい。」という心理もあるだろう。最近若い読者が増え、太宰人気が再び高まっているという。昨年(2008年)の発行部数に比べて、「人間失格」は5倍、「走れメロス」は7倍であるという。専門家は、「今は社会が閉塞状態で、日々の暮らしのことや将来の行く末に不安を抱いている人がたくさんいるから、太宰治の言葉のひとつひとつが、自分の気持を代弁しているように感じるのでは」と分析する。

今後、このような心理や状況の変化を視野に入れれば、よい(良い.善い)企業という認識は、「商品がよい企業」から「何かよいことをしている企業」へと変革していくにつれて、そのような面をアピールする広告が増えると私は、予測する。