Ⅱ.現実世界における「非理性」の隔離

 

 17世紀中頃になるとヨーロッパ社会では実際に「非理性」とみなされた人々の隔離が始まった。1656年、パリにおいて「総合救貧院」の設立が布告され、狂人たちは「貧しい病人や老人、乞食、怠け者、性病患者、犯罪者」等と共に「非理性」とみなされ隔離された。そしてこの種の施設は数年間でヨーロッパ中に広がった。このことをフーコーは「大いなる閉じ込め」と呼び、このような事態が起こったのは、人々の間にある共通の感受性が生まれたからだと考えた。すなわちこの「大いなる閉じ込め」以前は「貧困は神聖なもの」と考える伝統的なキリスト教における価値観があったが、これは宗教改革によって「貧困を非難すべきであると考える道徳的な感性」へと変化したのである。この「見方」からは、労働しないことは、神への反抗とみなされるようになった。    

 そのように「道徳的」な観点から排除されていった「非理性」の人々は、しかし、市民社会の発展による新しい考え方が生まれたことで徐々に解放されていく。それは工業の発展による労働力の必要性から、即ち「労働生産」の観点からもたらされた解放だった。監禁は「彼らを公共の施設に住まわせ、無為の生活を送らせ、あまつさえ公費で養っている」。しかし監禁されている人々の多くは、「監禁を解きさえすれば、安価な労働力の供給源となり、したがって生産原価を引き下げ、生産と商業の発展と国力の増大を約束する潜在的な富」となりうるものであったのだ。

 しかしここで問題が生じる。「犯罪者」と「狂人」の解放は危険である。だが犯罪者と違い、狂人には負うべき責任がない。それゆえ近代社会という新しい、「完全に再構造化された社会空間のなかで、狂気は一つの位置をふたたび見出さねばならな」かった。そしてフーコーは次のように述べる。

 

「医学が徐々に導入されたからではない……この空間が内的に再構造化されたからである。収監の社会的意味が次第に変質し、抑圧が政治的に批判され、貧民救助が経済的に批判されて、狂気が収監の全領域を独占するようになった……こうしたことのすべての結果、収監は狂気にとって二重に特権的な場、つまり狂気の真実の場にして狂気が廃棄される場になったのである。」 

このような歴史的な動きの結果として「狂人」を「精神の病」とみなす一つの見方が生まれた。すなわち「非理性」が解放されていく中で、残された「狂気」をどうするか、という段階に至って初めて医学的なまなざしが向けられることとなったのである。そしてそこでは理性によって「狂気」が病として眺められ研究される。理性の側から狂気の「真実」が明かされるようになる。他方で狂気はそのままでは社会に復帰できず、狂気とされるものを廃棄し、理性的に振舞う事でしか解放されない。(※このようにして、狂気は二重に疎外された存在となる。まず第一に社会から疎外され、第二に自己自身であることを放棄することによって、すなわち自己自身からの疎外として回復となり、社会に復帰することになるのである。)このように狂気が客体化され、制圧されたことによって、そこに精神医学が誕生する基盤がそろったのである。

フーコーは、「中世期が狂気を捉えていた宗教および倫理の古い共謀関係から解放されたときにはじめて、狂気は、精神病医の、要するに落ち着きはらって科学的となる視線の対象になった」と考える人々に、次の事を考えて欲しいと訴える。

 

「たえずこの人々に思い出してもらいたいのは、追放の処置をとられ数世紀の間沈黙させられることによって、非理性が客体としての拡がりを与えられた、この決定的な契機である。……この(追放するという有罪宣告)のおかげで、彼らは、とうとう沈黙させられた非理性についてさまざまに叙述することができたが、こうした叙述の局外中立性は、彼らの忘却の力に相応じている。非理性が認識の客体となりえたのは、前もって非理性が追放の客体になった限りにおいてであるという事態は、われわれの西洋文化にとって重大ではないだろうか?」

 

その後、人道的な見地から彼らを暗い牢獄の鎖から解き放ったとされるのがピネルであった。しかしそれは「解放」ではないとフーコーはいう。なぜなら医師が考える道徳的な振る舞いを身につけること、理性的に振舞うことが治癒の条件であり、いわば道徳的な鎖につなぎかえたに過ぎないからである。それ以前は、狂人は暗い牢獄の中で鎖に繋がれていたかもしれないが、少なくとも、「理性的」と勝手に決められたような振舞いをしなくてもよかったのである。そしてそれ以後、狂気は我々にとって治療するもの以外の意味を失い、対話をすることもなくなったのである。医師や監視人や看護士のまなざしによって狂人に生み出される「有益な恐怖」、それは「力による狂気の制圧と隷属化という監禁」ではないが、「不可視になった分だけより巧妙に、心的なレベルで行使され、押し付けられている」のである。

 拠って、フーコーは精神医学を次のように見る。「精神医学的実践とは、保護院の生活慣行のなかで保存され、実証主義の神話によってまたおおい隠された、十八世紀末の道徳的な術策なのである」。すなわち、道徳的な観点から隔離された狂気は、科学的な装いのもとに精神医学によって解明され、作られた道徳(理性、正常性)に従うように規格化される。そしてそれが治癒とされるのが精神医学なのではないか、ということである。

やがて近代(19-20世紀)になると、「『理性/狂気』という分割自体が忘却」され、現代の我々にとっては「狂気=治療対象」という見方、そしてそれを治療する(科学的な装いをもつ)精神医学は自明のことに見えてしまうのである。そしてフーコーは、そのように固定化された構造を次のように表現している。

 

「もはや理性は、理性を避けるかもしれないものや拒否しようと努めるものすべてをみずから乗りこえて進む努力をしない。他方、こうして狂気は、文芸復興期の天空に依然として多数の狂気を住まわせていたあの想像力の自由奔放さから引き離された」。(そして)

「閉じ込められた狂気は、監禁のとりでのなかで、<理性>に、道徳律に、それらの支配する単調な夜に結び付けられてしまったのである。」