Ⅰ.狂気に対する思想上の変化

「狂気は近代までは医学的な対象、すなわち疾患とはみなされなかった。このために狂者は精神の病を患っている病人であることが認識されず、犯罪者たちとともに監禁施設に同居させられていた。しかし近代になって医学的なまなざしが澄んできて、精神医学という科学が誕生したために、狂気が疾患として認識されるようになった。ピネルは狂人を鎖から解放することで、その疾患の治癒のための一歩を進めた」

 

科学的な思考が信奉されている現代社会に生きる我々は、この記述に何も違和感を覚えない。精神疾患というものは悲劇であり病であり、それを治療しようとするピネルは、精神医療を初めて切り開いた人物として当然評価されるべきだと考えるだろう。しかしフーコーが見るところによれば、それは誤った歴史解釈であるという。そして次のように述べ、狂気の歴史の本当の姿を明らかにする必要性を訴える。

 

「人間は隣人を監禁する最高権威たる理性のはたらきを通して伝達し、非狂気の無情な言語を介して認知しあう。しかも、理性のこの陰謀が、真理の支配のなかで決定的に完了してしまわないうちに……この陰謀の契機を発見しなおす必要がある」

 

以下ではフーコーが『狂気の歴史』において展開している論を追っていきたい。

 

  フーコーはまず17世紀頃を境に起こった思想上での変化に注目する。ルネッサンス期にあたる14世紀から16世紀にかけて、狂気はある種特別視されてはいたが、大部分は一般社会に在って受け入れられ、狂気は文学や絵画その他の文化現象のなかに自由に姿をあらわしていた。そこでは理性と狂気は判然と分割されておらず、理性と非理性は雑然と入り組んでなんらかの関係を保っていた。例えばフーコーは、モンテーニュ(1533~1592)の「そんなにきっぱりとある事柄を偽りだとか、ありえないとかきめつけてしまうのは、自分だけが頭の中に、神の意思と、我々の母なる自然の能力の限界を知る特別な力を持っていると自負することだ」という文章を受けて、「人間は自分が……気違いじみていないという点について決して自信をもてないのである」と述べている。この時代において、狂気は人間誰しもに内在するものであり、神の理性に比べれば理性も狂気も似たような小さなものであり、従って排除できるものとは考えられていなかった。また(狂気は特別視されることがあったけれども)狂気と理性は「互いに否定しあい、乗り越えあう」ものであり、狂気は「通常の理性には計り知れない深遠な宇宙的真実の啓示」かもしれなかったのである。

しかしその後、17世紀になると上述のモンテーニュに代表されるような狂気に対する態度に決定的な変化が生じる。それは人間を「理性」と「非理性」とに明確に分割する感受性の誕生である。フランスの哲学者であるルネ・デカルト(1596~1650)は「コギト・エルゴ・スム」(私は考える、ゆえに私はある)という原理を哲学の第一原理にすえて近代哲学の礎石を築いた人物である。デカルトはこの絶対確実な原理を見出すために、有名な「方法的懐疑」を行った。それによれば、我々は自分の感覚にも欺かれる可能性があり、時に計算間違えのような錯誤に陥ることもある。そして今、確実に何かをしていると思っても夢を見ている可能性すらもある。しかしこのようにして常に疑い考え続ける限り自分は何者かであらねばならず、それゆえ確実に存在するという「われ思う、故にわれあり」という結論に至るわけである。だがそのように注意深く疑っていく過程の中で、なぜか「自分が狂気である可能性」をいとも簡単に退けているデカルトに、フーコーは注目する。「彼らは狂人である。その人たちを模範にするとすれば、私自身もやはり彼らにおとらず気違いということになるだろう」。このデカルトの言葉が意味するのは、思考する我々は「狂人たりえない」のであり、狂気は、懐疑する主体によって初めから排除されているということである。先ほどのモンテーニュと比べ、ここでは明らかに狂気に対する態度が異なっているのがわかる。人間を「理性」と「非理性」とに明確に分割する感受性がここに生まれたのである。