DVに操られないために

 

DVとは、一義的に答えの定まらない問題だと私は常々感じる。

 何故なら、被害者ひとりひとりに固有の認識や倫理観があり、さらにそれを取り巻く環境があるからだ。

 私は、相談対応に当たって、相談員の役割について三点の屋台骨があると考える。

 第一に、被害者が悩む目の前の問題に寄り添い聴き、当面の対応策を考えることは勿論であるが、継続的に被害者が相談し続けられ、問題の先を共に考えられる信頼感を抱いていただける工夫をする役割。

 第二に、相談員間の連携・情報と問題意識の共有に加え、他の機関との的確な連携のための知識を培い続ける努力をする役割。

 第三に、被害者とともに「さしあたり」・「とりあえず」選択肢を考えたのち、心身面や経済面を熟慮しながら、ともに「今後の展望」が明るいものであると希望が持てるような選択肢を考え、相談の中で相手の「自己決定権」を重要視しながら、柔軟に根気よくともに歩んでゆく役割。

 以上の三点について私は重要だと考えるが、

私自身、足りない部分は、先輩方から、被害者の方から、ご教授頂くことや知らないことを知ろうと貪欲になることが、相談員としてのステップアップに繋がると考えている。

また、「表面」に視える・聴こえる問題がすべてではなく、ひとりひとりの悩める問題にある「背景」に思いを馳せ、思いやることを忘れないことが、誰に対しても、どこに於いても、ひとりの「ひと」として大切なことだと私は信ずる。

東日本大震災後、「想いだけでは変わらないが、想いを行動にすると、変わる。」という言葉を目にしたことがある。しかし、独善的な想いを行動に移せばそれは、恩着せがましい押し付けであることに常に留意し、行動に出る前の吟味・行動した後の内省を心がけることを忘れないひとであり続けたい。

最後に、DVは、ひとの人格形成に大きな爪痕を残す。DV被害者によりそい聴くことによって「ひととしての尊厳」の回復の御手伝いが出来れば、幸いに思う。